前回に引き続き、北京オリンピックの話題に触れたい。
出場選手全員が、4年間、オリンピックのために技を磨き力を付けていった。
先にも書いたように、これは「出場選手全員」がである。
そのほとんどの選手が、メダルを目指して練習してきたハズである。
今年に入って、ソウルオリンピックの銅メダリストの方の講演を聞いたが、
その人の魅力は口では説明できないほど圧倒的で、いわゆるオーラがあった。
そして自分なりの哲学を持っており、心に響く講演に感動した覚えがある。
オリンピックに出場するほどの想像を絶する練習量に耐えることができたのは、
やはりその人の想い(情熱)があるからだろう。
さて、北京オリンピックを見ていて不思議に感じた事がある。
これは過去のオリンピックを見ていてもそうだ。
それは選手の「引退」についてである。
引退する可能性を示唆する選手や引退するかしないかと取り立たされる選手というのは
個人種目競技者に多いということだ。
野球やソフトボールなどの団体競技では、あまりそういう話を聞かない。
どの競技においても、選手は厳しい練習に耐えて耐えて、
ようやくオリンピックで力を出すことができる。
結果はどうあれ、これで一つの区切りがつく。
思うにその後の心境の変化は、個人競技と団体競技との環境の違いによってでてくるのではないかと考えている。
環境の違いとしては、以下の2つが考えられる。
一つは個人競技は団体競技に比べれば、モチベーション(情熱)の維持は難しいこと。
また、同様に個人競技は団体競技と比べれば自分の裁量は大きいこと。
これらの環境の違いにより、個人競技の選手はある区切りが付いた後、
個人競技の方が引退の可能性を示唆する選手が多いのではないか。
とはいえ、選手が引退するとしても情熱が無くなるわけではない。
情熱が違う方向へ向けられるだけの話しである。
情熱の向かう方向は違えど、私たちに夢と感動をあたえてくれた選手の皆様に感謝したい。
(松本)



























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